【歴史】ロシア皇太子暗殺未遂事件の資料が市文化財へ(3月31日)

最近明治維新についての記事を書くことが多かったので、その関連でこのニュースをピックアップ。

産経ニュース 2018年3月31日付け

「大津事件」資料294点、市文化財に 津田三蔵巡査の「志願書」など

大津事件は明治24年(1891年)に、現在の滋賀県大津市で起こったロシア皇太子暗殺未遂事件のことを指します。

津田三蔵巡査は、皇太子を襲った犯人です。

明治期の日本とロシアといえば、日露戦争のイメージもあり、仲が悪かったんじゃないかと思いがちですが、1891年のときでいえば、両国のあいだの仲険悪ではありませんでした。

むしろヨーロッパの周辺国、辺境国として仲間意識があったのかもしれません。

正規の訪問ではなかったものの、明治政府はロシア皇太子を国賓として迎えいれます。

ヨーロッパから訪日する皇太子はニコライが初めてということもあり、日本全体が浮き足立っていた時期でもありました。

九州から神戸、京都、滋賀へと来遊していたニコライは、琵琶湖を遊覧した帰りに大津の警護に当たっていた津田巡査に襲われました。

重たいサーベルで右耳の上あたりを二回にわたって切りつけられます。

長さは9センチにもおよび、重たいサーベルの一撃で骨にまで達する傷だったそうです。

幸い、命に別状はなかったニコライでしたが、皇太子の身を案じる母から帰国するように連絡が来たため、東京を訪れずに帰っていきました。

顔を真っ青にしたのが日本政府です。

ロシアは西欧列強の一国です。

大津事件をきっかけに植民地の割譲を要求されたらたまったものではありません。

国を挙げて自粛モードに入ります。

皇太子には見舞いの品や電報がひっきりなしに届けられ、明治天皇も直ちに見舞いに訪れたそうです。

そのような配慮を汲み、ロシア皇太子も大津事件は一人の狂人がしでかしたことだとして、日本に悪い印象を持っているわけではないからあまり気にしないでほしいといっています。

しかし、明治政府は津田を死刑にするべきだと主張し、当時の最高裁判所である大審院に圧力をかけます。

これに対して、大審院長であった児島惟謙(こじまいけん)は、刑事にかけあい、無期徒刑で判決を下しました。

無期徒刑は、旧刑法の一つで、島流しにして労役に服させるものです。

当の津田本人は、捕縛の時に負った怪我が原因してか、獄中で病死していますが…。

大津事件は司法権の独立を守った事件として法学史では有名な事件です。

(しかしなぜか日本史では影が薄いイメージ・・・。)

欧米からも評価された事件でしたが、津田本人は獄中で熱を出し病死してしまいます。

しかし、なぜ津田巡査はロシア皇太子を暗殺しようなどと考えたのでしょうか?

実は歓待ムードの裏で、皇太子の訪日は、旅行と見せかけた軍事視察ではないかと噂する者がいました。

前年、ロシア皇帝アレクサンドル3世はシベリア鉄道の竣工を宣言しており、朝鮮半島の覇権をめぐり西洋列強が対立していたからです。

このような国際情勢が背景にあったからこそ、津田もロシア皇太子が日本の軍事視察に来たのだと思い込んだ節があります。

さらに悪かったのが、皇太子が日本各地をめぐる順番です。

ニコライははじめに鹿児島から旅を始めたのです。

西南戦争の首魁とされ自刃した西郷隆盛は、実は生きているのではないかという噂がありました。

津田は西南戦争で官軍側に参戦し、勲章を受けていた経緯があります。

そして、本来であれば天皇がいる東京にまずは来なければならないところを、鹿児島から日本巡遊の旅を始めたのにはわけがあると津田は考えたようです。

ニコライ皇太子が鹿児島へ行くのは西郷隆盛が生きているからであり、それが発覚したら、勲章がなくなってしまうと恐れたようです。

こうして犯行に及んだ津田巡査ですが、事件を起こしたことで、肝心の勲章も剥奪されてしまうのは皮肉です。

今回新たに市文化財として登録された294点の資料は一般公開され、大津事件の背景について、今後新たな資料が発見されるかもしれません。