原作の映像化において制作側に知ってもらいたいこと

こんにちは、吉田セツ(@setsuyoshida)です。

漫画や小説の映画化が多い昨今です。

原作の映画化は、とりわけ実写化という点において、賛否両論、さまざまな意見があるかと思います。

私としても、本音を申し上げるのであれば、実写化は、あまり好きではありません。

その理由については後述しますが、今回は、原作の映像化について、ある監督の言葉に感動したことがあったので、それについて書いていきます。

ゲームの映画化が活況な今

私、1980年代生まれでして、ちょうどゲームで言えば、ファミコン、スーファミ世代にあてはまります。

父親が目新しいもの(というかゲーム好き)好きでもあったので、家にはファミコンソフトがたくさんあったのを記憶しています。

当然私もゲームに親しむわけでして。

なかでもずっと大好きなシリーズのゲームソフトがありまして。

KONAMIから出ている『悪魔城ドラキュラ』シリーズです。

このシリーズは・・・作品自体の歴史も長いですし、物語自体も長いです。

何世代にもわたるベルモンド家とドラキュラとの戦いという話です。

それこそジョジョの歴史にも負けないぐらいかと思います。

ムキムキなおっさんヴァンパイアハンター、ベルモンドが、吸血鬼を唯一退治することのできる聖なる鞭「ヴァンパイアキラー」で伯爵ドラキュラを倒しにいくアクションゲーム。

 

私が初めてプレイしたのは、記憶に残っている限りでは、スーファミの「悪魔城ドラキュラ」(1991年発売)です。

 

ゴシックホラーの雰囲気抜群なステージと気分を高揚させるBGMは秀逸の極み!

しかし、初見殺しのステージはプレイヤー泣かせなのであります。

そんな悪魔城界隈を沸かせる出来事が2017年にありました。

悪魔城伝説、待望のアニメ化…!!

 

悪魔城伝説は1989年にファミリーコンピュータで発売された作品です。

ベルモンド家のハンターが3人の仲間と一緒にドラキュラを倒しに行きます。

この作品を下敷きに、Netflixオリジナル作品として、アニメ化が決定、第一弾が7月7日に全世界同時配信されました。

制作に携わったのは若きクリエイター、アディ・シャンカル氏

彼のインタビュー記事を読んでいて、すごく共感できる話がありました。

――『悪魔城ドラキュラ』で、原作のゲームを特に意識したところはどこですか?

ストーリーは、とてもゲームに忠実に作っていると思います。
ただ、私たちが子どもの頃にプレイした原作ゲームは、とても情報量が少なかったと思います。

大枠の物語があって、その中にゲームがある、という非常にシンプルなものでした。
ですから、自分でプレイしたときに、自分でストーリーを想像することが重要だったと思うんです。
そのおかげで、自分が想像的な人間になったんだと思います。

そういう考え方は、今の作品づくりにとても影響を与えているんですよ。
ゲームの中の、戦いと戦いの間のストーリーを埋めていく、作っていくのが、私たちの作業なんです。

出典:『悪魔城ドラキュラ』アディ・シャンカル氏インタビュー アニメから実写『パニッシャー』まで異端の製作者が求めるヒーロー像とは

初期の悪魔城シリーズの作品は、キャラクターに会話がほとんどなく、ゲーム中語られる情報が少ないのも特徴です。

しかし、これが戦いと戦いの間のストーリーを想像で補う楽しみを生み出していたわけでして。

私も自己解釈で世界観広げていってたっていう気がします。

これ、二次創作の世界でも同じだよなぁ、って。

ただ、プロデューサーのすごいところは、

その想像で紡いだストーリーが原作と抵触していない
むしろ悪魔城の世界観深まってるよね

誰が見ても「これは悪魔城だ!」

という点にあると思います。

監督、どんだけ悪魔城やりこんだんだろ。

これが、二次創作だけの世界だったら、百人いたら百通りの解釈や自己設定、世界観があったり、賛同しあう人同士で派生した設定も出てくる。

でも、その百通りの解釈や自己設定、世界観があっていいのが二次創作。

肯定されるのが二次創作だし、それがいいところ。

読み手や買い手もそれを理解した上で自分の好きなものを読んでいくわけで。

好きではない世界は、足を踏み込む必要もない。

(中には自分の好きなもの以外のものを全否定したりイチャモンつけるようなややこしいケースもあるようですが・・・おそろしい)

これが映画というメディアを通じて発信するのであれば、原作を知ってても知らなくてもどんな立場の人でも安心して楽しめるような形にしてほしいと思うのです。

スポンサーも得ているわけだし。観客からお金ももらうわけだし。

それで原作知ってる人からなんか違うと評価されたら、それは制作陣が原作をきちんと理解できてなかった、腑に落とし込むことができなかったということで、制作陣の力量不足だと思うのです。

大好きな作品の映画を見に行ったけど違和感が…

昔、大好きなマンガの映画を見に行ったんだけど、ストーリーが

「制作側のほとんど趣味じゃね?」

という感じで、子ども心にがっかりした覚えがあったのですよ。

や、どの映画か、というのは暴露しませんけど。

見る側の立場も関係なしに、自分らの解釈で好き勝手に作って満足、という感じで、置いてけぼり感が半端なかったのです。

うん、すっごく置いてけぼりにされてた。

母にせがんで連れて行ってもらったのに、楽しめなかったのがとても気まずい出来事でした。

今思えば、あれも一種の表現手法だったんだよなぁと納得できるのですが、その当時の私はそれを理解するのも早すぎたし、幼すぎた。

不特定多数の人が見る映画、というメディアで作るのであれば、もっと見る側のいろんな立場を考えて内容を作ってほしかったなぁ、と。

自分たちを「制作委員会」とか「実行委員会」とか、公式の作り手であることを称するならなおさら。

それを思うと、プロデューサーがどれだけ悪魔城、そしてファンに敬意を払っているのか、というのが身にしみるほどわかって感動するのですよ。

本当に、ファンのことを考えて作られてるんだなぁと。

私の子どものころの映画の経験は十数年前にもさかのぼるので、今流行の原作映画化の状況がどうなってるのかは分かりません。

それを知るためにも食わず嫌いなことはやめて見てみてもいいのかなとは思うのだけど…。

もちろん実写化された中にもいいものはあると思います。

実写化や映像化に求めたいもの

しかし、収益のために何でもかんでも実写化すればいいという問題でもないと思います。

なぜ実写化でする必要があるのか?

実写化するのは適切な方法なの?

ということはあまり考えられていないようにも思えます。

利益、収入目当てでどんどん実写化されてる今だから、そんな潮流に抗うように、シャンカル監督が悪魔城の実写化はNO!と断固反対したのは本当に勇気のいることだったのではないかと思います。

何が言いたいかっていうと…原作を映画化(に限らず、実写化、アニメ化)するときは、

原作を読み込んで血肉化した上で制作をしてほしい。

独自解釈を入れた作品を作るのであれば、制作側で勝手に自己満足するような作品にしないでほしい

資金面などの大人の事情で妥協した作品にしないでほしい

…ということなのあります。

要望多くて恐縮ですが(汗;

そんなこんなで評価の高かったNetflixの悪魔城、シーズン2は2018年に配信されるとのことなので、気長にわくわく待つとします。

そんなことより!プロデューサー!第二弾ではグラントを出してあげてください!!

今回書きたかったのはこのぐらいです。

ではでは、また。